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 「それが遅れた理由か?」
 「舐めないでください、まだ有りますよ!」
 「ほう?」
 「その後黒猫の大渋滞に会うし、鳥の糞が降ってくるし、更には家の二階から水が降ってくるし、自転車が石に躓いてまさかのパンクを起こし、」
 「分かったもういい」


 額に手を当て、諦めたようにため息を吐く女性。
 胸にサラシを巻き、その上から白衣を着ている。中々のセンス(勿論褒めてない)をした彼女はぼくの師匠であり、最年少でトップレベルの人形技師になったという実績を持つ。この業界で知らぬ者はいないという、今や世界一の人形技師である、葉守華子だ。
 彼女は腕を組み直し、その美しい顔に深い眉間の皺を刻みながらこちらを見た。


 「相変わらず不幸の塊だなお前は。それでそんなにボロボロなのか」


 そう、ぼくの今の状態は全身びしょ濡れ、所々に泥が付き、終いには袖が少し破けていた。
 ぼくは恥ずかしそうに頭をかき、やけくそになりながら言う。


 「もうっ! 褒めないでください!」
 「褒めてねーよ褒めたくもないわ」
 「でも華子さん。時仁は急いで来てくれましたよ」


 華子の隣に座った男性が、苦笑いをしながらまあまあと収めてくれた。燕尾服を着ていて、職業は執事。つまり、三咲奏は華子さんの執事だ。


 「で、その結果が一時間遅刻ってどういう了見だっつー話だ」
 「お、おっしゃる通りです……」
 「もういい……。お前、奢れよ?」
 「うっす……」


 しょぼんと肩を落とし、伝票を手に取る。
 書かれているものは、珈琲、紅茶、サンドイッチ、ケーキと……


 「――多くないです?」
 「文句あるのか」
 「いやこれは流石に払えないんですけど……」
 「あ、私の分は払わなくてもいいよ、時仁」
 「三咲さんは何頼みました?」
 「紅茶」
 「オゥ……」


 一番安いのじゃねーか。

 

 ☆


 「ありがとうございましたー!」


 店員の軽やかな声が背後から聞こえる。
 その輝かしい笑顔とは正反対に、ぼくは涙を流した。貧乏学生であるぼくの有り金全て毟られてしまった。

 ……今月、どう生きていこうか。


 「さて、まずは歩きながら説明しようか、少年」


 レンガで出来たタイル張りの歩道を、華子さんが長い足を伸ばし大股で前へ歩き始めた。その後から三咲さんが礼儀正しく付いていく。
 それを見てどっちが女か分かったもんじゃないな、と思いながらぼくも遅れを取らないように歩き出す。


 「お前はオーベイドールを知っているか?」
 「もちろんです。今や世界中に広まる人形の事。師匠が作っているのもそうですよね」
 「正解だ。服従人形(オーベイドール)。主人の言うことを何でも聞き入れる従者である」
 「……何の脈絡もありませんね。いきなり何故そんなことを聞いて来るんですか」
 「お前はオーベイドールが嫌いと、以前そう言っていたな」
 「ええ」


 喫茶店から徒歩五分。華子さんの家はとても近い。その為あの喫茶店は華子の行きつけだ。
 彼女は家の横に隣接された倉庫のような建物の扉を開け、中に入る。それに続くように付いていく。薄暗い室内は鉄や油の匂いがほんのりと漂い、少し懐かしく思った。


 「手を出してごらん、少年」
 「なんです?」


 芝居掛かった口調に嫌な予感がしつつも素直に手を出した。
 差し出した手のひらに、ころんと置かれた一つの金属にギョッとする。
 きらきらと光る赤と白の小さな宝石が埋め込まれ、雪の結晶の模様が刻まれている、人形を巻く時に使うゼンマイだ。——嫌な予感が当たってしまった。
 そのゼンマイが指す意味は。


 「ッ、師匠!?」
 「何だ」
 「何だはこっちの台詞です! こんなもの渡されたってぼくには……!」
 「君には今から私の最後の作品であり、最高傑作であるオーベイドール、グレゴリオシリーズ拾弐番機、糸蓮のマスターになってもらうつもりでな」


 そう、マスター登録には、その人形専用のゼンマイを巻く必要がある。
 巻いてしまえば後は簡単。安物だと追加で回さなければならないが、高級品などは自動歯車(オートギア)が永久的に回り続ける。
 故障や、壊すことでもしない限り止められないのだ。
 ぼくはその意味を知った上で、いや知っているからこそ拒否をした。


 「無理です! 誰か他の人にやってもらってください!」
 「問答無用」
 「あんた本当に人の話を聞かねぇな!  ぼくには、あなたの最終作品を持つ権利なんかありません!  もう、嫌なんです!」


 華子さんは一瞬動きを止め、それからわなわなと震えだした。
 ぼくは少し、マズイと思った。この人が怒ると雷様なんて目じゃないくらいに恐ろしい。


 「私が貰って欲しいと言ってるんだから貰え! 最高傑作だぞ? 私の、葉守華子の最高傑作を要らない!? ……それに、お前はあいつに復讐したいんだろう?」


 しかし予想とは違い、華子さんは単に声を荒らげただけだった。
 真剣な表情。瞳が真っ直ぐにぼくを射抜く。


 「ッ……また来ます」
 「待て! 時仁、こいつにはお前が必要だ!! いいか!? 今は、今はそれだけ覚えとけ!!」


 聞こえない。聞いて堪るか。
 ぼくはその場から逃げ出した。
 復讐。その言葉が胸に突き刺さる。
 別にぼくは復讐を求めてる訳じゃないし、できるなんて思ってもいない。
 ただ、そう、会いたいだけなのだ。

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