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 ダダダダダダ!
 騒がしい足音を立てて協団の無駄にだだっ広い廊下を走り抜ける。はあ、と漏れる息とそろそろ限界を迎えそうな肺を精一杯無視して、ぼくは走った。
 自らの不運体質で鍛えられたぼくの身体は異常に頑丈ではある。が、言ってしまえばそれだけで、ぼく自身の体力や基本的な運動能力では普通の人間と全く変わりない。むしろ平均を下回るくらい、ぼくは運動が苦手なのだ。

 「トキヒト、息があがっておりますよ」

 必死に走ってるぼくと並走している糸蓮は、顔色一つ変えず相変わらず涼しい表情で問いかけてくる。不恰好な走り方のぼくとは違い無駄のない余裕ある走りを見せつけてくる糸蓮に、内心嫌味かと怒鳴りたいところだがそんなことしていられる状況ではないし、まず今怒鳴れるだけの体力は全てこの足に使われていた。
 その姿は雄弁に語っていただろう。今話しかけんじゃねえぼく死ぬ、と。多分今すごい形相してる。
 しかしそれを察するには糸蓮はまだまだ人の心を理解出来ない解凍新品の人形であったし、そして何よりぼくたちの関係は浅すぎた。そしてプラスされるぼくの不運。

 「トキヒト」

 だからだろうか。
 くいっ、と。
 全速力で走っている人間の首襟をそのまま後ろに引っ張るという暴挙を糸蓮が簡単に行動に移せたのは。
 そういえばこの子、寝ている人間に花瓶を振り下ろしてくるような子だったなぁ、と遠い目をしたのは後の事だ。
 「え、うそ、は!? グェッ」とか細くも悲惨な奇声が口から零れ、身体は勢いよく後ろに吹っ飛ぶ。
 グッ、とおよそ人体からは聞いたことない音がぼくの後頭部から聞こえた。
 あれ、ぼく今日後頭部への打撃って二度目だよね? これ本当にぼくの頭無事? 頑丈さか、もしくは打ち所が良かったか、おそらく前者であろう不幸中の幸いで意識こそ落とさなかったが確実にダメージは蓄積された。いたい。あ、たんこぶ二個目できてる。
 キュ、と靴と床が擦れる。糸蓮が、止まった。

 「敵を、発見致しました」

 前方には、ぼくたちの死角から現れた背反人形(リベリオン)が一体。
 パッと見た感じあの人形の型はおそらく戦闘人形だろう。
 いかにもな厳ついフォルムで、ぼくたちを嬲り殺そうと舌舐めずりする姿に本来の穏やかな性質で作られる人形とは違う、本能的な恐怖を感じた。
 ぞくり、と身体は正直に震えるが、残念。ぼくはこれを、もう知っている。
 この恐怖は大丈夫だ。大丈夫、相手は一匹。こちらは二人。糸蓮と、ぼく。大丈夫、大丈夫。ぼくは落ち着いている、大丈夫、冷静だ。
 だって。

 ――アイズリーの彼女と、ヘルムの方が、よっぽど強(こわ)かった!!

 「――糸蓮、走って!」
 「かしこまりました、マスター」

 糸蓮は再び走る。その強靭でしなやかな脚力を活かし真っ直ぐに背反人形(リベリオン)との間合いを一瞬で詰めた糸蓮は、躊躇なく、跳んだ。
 助走の勢いをそのまま殺さずに放たれた重い蹴りの一撃は、見事厳つい戦闘人形の厳つい顔をぶっ飛ばした。顔をひしゃげさせた見るも無惨な姿となった“元”戦闘人形の背反人形(リベリオン)の末路に口の端がヒクリと引き攣つる。勝負とも呼べない勝負は本当に一瞬で終わった。

 「トキヒトに守られずとも、私は強いでしょう?」

 くるり、と軽快に振り返った糸蓮の表情は変わらない。しかし言ってやったぞ、という意趣返しの意図が見て取れて、本当に人間みたいだと呆然とする頭で月並みにそう思った。
 人形のくせに、ぼくが決闘前に言ったその台詞を持ち出してくるとは。なんとも意地が悪いやり方をする。このぼくが“人間みたい”と思うなんて、流石師匠の最高傑作としか言いようがないではないか。

 「……そうだね。ぼくなんかよりもずっと強かった。もう、あんな馬鹿なことは言わない」
 「はい」
 「行こう、糸蓮。ぼくは君をもっと……信じるよ」

 信じたいと、そう思ったよ。
 少しばかりのうその混じった本音。
 聡い糸蓮がそれを気づかないように、早足にテロリストの男の行方を探るため歩を進めた。

 「トキヒト、何故来た道を戻っているのですか」

 ……間違えたんだよ。

 ☆

 「こちらですよ」

 ぼくでは覚えきれなかった協団の道を糸蓮はまるで自らのホームのように案内する姿に違和感を感じながら、ぼくたちは着実に主犯の頭イかれ男の元へ近づいていた。
 おそらく男が立て篭っているであろう場所をしらみ潰しに見て回ってから、長くはないが短くもない時間が経っている。
 もう見てない部屋の数は多くない。
 その中でも一際大きな部屋の前で、ぼくたちはいた。
 多分、ここにあの男がいる。だが見つけたところで何をするべきか、ぼくは未だ分からないでいる。

 「当たって砕けろ、ですよ」
 「いや、砕けちゃ駄目でしょ」

 確かにアイズリーの彼女はそう言っていたがそれは比喩であって。あれ? あれは本当に比喩だったのか? 
 当たって砕けて私があんたをボッコボコにする手間を自ら省いてきなさい、という暗示なのでは? なんかそれもあながち間違ってないような気がしてきた。
 でもどっちみち、ここまで来たのだから当たっていかないといけないのだ。
 糸蓮は逃げる気なんて更々ないし、こういうときに逃げたとなればアイズリーの彼女は勿論、師匠にも殺されるだろう。
 こうなって仕舞えば敵に殺されるか身内に殺されるかだ。
 ぼくも男、せめて敵に立ち向かって死にたい。
 身内、しかもどちらも女性に殺されるなんて末代までの恥だろう。
 ゴクリと唾を飲み込んで、糸蓮と共に頷き合った。
 ドアのノブに手をかける。
 ガチャリと思い切りのいい音がなってギィ、とゆっくりゆっくりと扉が開いた。
 開いた先にいたのはやはり主犯の男。それとサイドに二体の元戦闘型人形。
 男はぼくを見てニヤリと笑ったかと思うと、「ようこそ」と纏わりつくような粘着質な声色でぼくたちを歓迎した。

 「誰が来てもよかった。でもテメェが一番面白いだろうなあとは思っていたぜ、神童」

 そして嘲笑うような声を出す。

 「新しいお人形さんはどうだい?」

 ぶわり、と頭が真っ赤になる感覚を、ぼくは久しく忘れていた。
 震える手にガチガチと噛み合わない歯は恐怖ではない、それはまごうことなき“怒り”であった。

 「な、んで」

 「なんでお前がそれを知っている……!?」

 無理矢理開かされたパンドラの箱の中身は、あまりに無意味な過去のトラウマだった。

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