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Ⅵ話 恐―フィア―


 目が覚めたら知らない天井、なんてありきたりな表現を、まさかぼく自身が使う日が来るとは露にも思はなかったし、思いたくなかった。

「…………どこだよ」

 ――いや、マジでここどこだよ。
 真っ白で清潔感のある、何も、本当に何もない部屋。
 ぼくが今まで眠っていたベッドや傍に置かれた小さな棚と、上に置かれた桃色の花が挿してある花瓶以外は本当に何もなくて、それ以外を強いて言うなら窓と出入り口らしき扉と天井の電球ぐらいしかない。非常に質素で無個性。
 ぼくの身体は何故か全身包帯ぐるぐる巻きで寝た体制のまま身動きが取れずにいるので外のことを確かめる術がないのである。――しかし病院にしては見たことがない。
 自慢じゃあないが、ぼくは今までの人生で病院にお世話にならなかったことがないので、ここが病院の内装にしては少し違うことは何となく把握していた。
 かすり傷に切り傷、打撲捻挫骨折等など……軽傷重症、全ての怪我という怪我を網羅してきたことがこんなことに役に(?)立つのかと思うと何か凄い複雑だなあ。いや、本当に。

「本当、ぼくって不運……」
「どういたしましたか、トキヒト」
「……? …………?? うぇぁあ!? し、糸蓮!? いつから!?」
「トキヒトが頭を抱えて『…………どこだよ』と悲観に暮れていたところからです」
「居たなら最初から何か言って!? あとここ本当にどこ!?」

 どうやら最初から見られていたらしく、地味に恥ずかしさが込み上げる。なら言えよって感じだがこの子に悪気がないと分かっている分だけぐぬぬ、となる。人形相手にムキになるぼくが悪いのは分かり切ってるんだけどさあ……?

「軍病院です、……か?」
「え、何でそこで君が疑問形になるの」

 一拍遅れた後の疑問形アンド首傾げはめっちゃ嫌な予感しかしないんですけど。という余計な一言はぐっ、と呑み込んで、ぼくも深呼吸のあとに自分の心臓の鼓動を落ち着かせながら恐る恐る糸蓮に問いかけた。

「――糸蓮」
「はい、なんでしょう」
「ぼくに今起こっている状況をできるだけ簡潔に、お願い」
「――はい。トキヒトは今人形遣い協団(パペッターギルド)襲撃事件の≪重要参考人≫として、陸軍本部の軍病院に収容――平たく言えば、軟禁されています」
「軟禁んッ!?」

「――軟禁とか人聞きが悪いことは止めてくれないかい?」

 途端、聞き覚えのあるおっとりとした声色が聞こえた方向を見ると、扉から入ってきた満身創痍、というには軽傷だがそれなりに怪我をしている中年男性――桜庭さんの姿があった。
 この閉鎖した空間でテロ事件で無事だったことを確認できた喜びで起き上がろうとして、誠に阿呆なことに、自分の状態が全身包帯ぐるぐる巻きのことの一切を忘れていた。

「ぐぅえ」
「大丈夫かい、時仁くん!?」

 即座に糸蓮が首元の包帯を緩めてくれたおかげで何とか助かった。
 ……誰だよこんな拘束みたいにぼくの身体に包帯巻きつけた奴……――拘束?
 はた、と気付き出したぼくの思考回路は一度動き出せば止まらない。マイナス方面へ向かうことがぼく自身でとても悔やまれるのだが。
 そういえば。さっき糸蓮がぼくのことを≪重要参考人≫と言っていなかっただろうか。ううん? これはひょっとしてもしかすると、この重要参考人もといぼくは、陸軍にとってほとんど≪容疑者候補≫とまで思われているってことか――!?
 まさか、という縋りつくぼくの視線に気づいた桜庭さんが、ぼくの言いたいことをきちんと察してくれたのかつい、とぼくから視線をずらした。
 おい! あんた全部知ってやがるなくそじじい!! 
 一先ず叫ばなかっただけ褒めて欲しい。取り敢えずぼくの中で桜庭さんの株は大暴落である。

「い、いやでもね? 時仁くん、少し誤解というか、ね?」
「だから何度も問うております、桜庭協団長(ギルドマスター)。何故トキヒトはここで軟禁されているのです。トキヒトの潔白はあいずりーさんと、何よりも貴方の証言で既に証明されているはずですよ」
「だから軟禁は違うって!」

 どうやら糸蓮はぼくのこの状況を訴えてはくれていたらしい。桜庭さんも桜庭さんで理由はあるようなのだが、しどろもどろで、あー、だとか、うー、だとか言葉にすらなっていない。
 しかしちっとも話が進まない中、いい加減当事者であるぼくが除け者にされるのもイライラしてきた。
 ……じじいと糸蓮のどちらを味方するか、と聞かれたら、ぼくは問答無用で糸蓮の味方をしよう。

「――ッいい加減!! ぼくに現状を教えろください!!!」

 しぃん、とこの場の空気が静まった。
 これを待ってました。ぼくは二人に口を挟ませないように大きな声のまま勢いよく畳みかける。この対話術は話を聞かない相手に有効だって師匠言ってた。……その師匠が一番人の話を聞かないのだが、一度もこの対話術が成功してないのはご愛嬌である。
 あと、あくまで敬語を外せなかったことも勘弁願いたい。

「桜庭さん、教えてください。ぼくは、何で! 陸軍本部の軍病院でこんな阿呆みたいな恰好で拘束されているんですかッ!!?」
「そうですそうです」

 ……糸蓮、この雰囲気でそんな軽い煽り要らない。

「本当に誤解なんだって!? それに時仁くん、まず前提が違うんだよ」
「はあ? 前提? 一体何のことですか?」

 桜庭さんが悲しそうにとほほ、と首を横に振った。
 そんな間を使ってるくらいなら、さっさと話してほしい。

「時仁くん知らない間にとても辛辣になったね……。でも本当だよ、君たちが思っているほど、事態はそこまで深刻ではないから心配しないでくれていい」
「と、いいますと?」

 糸蓮がもったいぶって中々結論を出さない桜庭さんに先を促すと、桜庭さんはそう急かさないでくれよ、と重く溜息を吐いた。

「あのね、これは『時仁くん』が拘束されているのではなくて『葉守華子の最高傑作である糸蓮』の保護を目的とした隔離なんだよ」

 ――時仁くん、君自身は凡庸で特筆すべきところはないが、君の人形は違うことをもう一度念願に入れておいたほうがいい。君の師匠がどれほどの天才で、どれだけその道で名を轟かせてきたか、弟子である君が知らないはずがないだろう? その人の最高傑作であり、何よりも最終傑作である糸蓮、彼女には君が想像もつかないような価値があることを、どうか、どうか知っておいてほしいんだ。彼女を喉から手が出る程欲しがる強欲な人間は、星の数ほどいるのだから。

「糸蓮が、君から離れない人形ならば、君を隔離するしかないだろう?

 ――私だって苦渋の判断だったさ」


 ☆


「お、やっと私の弟子が来たようだぞ、サラ」
「ええ、本当ですわね。先生。――クッソ遅かったわね、ポンコツ」
「おやぁ、かわいい子に先生と呼ばれるのは悪くはないが、どうせならお姉さまでもいいんだぜ?」
「はい。――で、ポンコツはいつまでそこでその恥ずかしい阿保面を先生や私に晒し続けるつもり?」
「ちょ、サラ、お姉さまは無視か?」

 

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