糸蓮の顔には諦めなんて感情は一欠片さえない。短い間だけれども、良く見た無機質で真っ直ぐな瞳がぼくに訴えるようにじっと見つめていた。
「ちょっと、私の話を遮るんじゃ――」
「少々お黙りください。私は時仁と会話をしております」
「な、んですって!?」
「ですから、少々お静か願います。淑女でしょう、声を張り上げないでくださいませ」
「うっさいわね! 何で貴女にそんなこと言われなきゃいけ――」
「それで、トキヒト」
「話を聞け!!」
張り詰めていた空気が、一気に溶けた。
彼女は糸蓮のペースに乗せられ、キャンキャンと糸蓮に噛み付いている。その様子を見せつけられて、ぼくは大分彼女のペースに巻き込まれていたのだと知る。
野次馬も急な空気の転換に困惑が段々と解けてまたわいわいと騒がしい話し声が戻った。
肩の力が少し抜ける。
「――ああそっか」
ぼそりと呟き、ふう、と相手側に気づかれないよう深呼吸をすると、その時漸くまともな精神状態が戻った気がした。
彼女のペースに飲まれて彼女の掌で転がされるくらいなら、ぼくもまた一つの選択肢を選ぼうと思う。
ぼくだって、決して性格が良いという訳ではない。なら最後に彼女の度肝を抜いた顔くらい見たいじゃないか……!
そう結論付けて、ぼくは立会人を引き受けてくれていた桜庭さんを呼ぶため右手を挙げる。
「桜庭さん。いえ、ギルドマスター。先ほどは決闘を受けたなら拒否(キャンセル)することは出来ないと仰いましたが、それは人形遣い協団(パペッターギルド)の除籍を持ってしても、ですか?」
「んなっ!」
彼女の驚いた声を尻目に桜庭さんはふ、と考え、その後目を見開いた。ぼくの顔を凝視してまさか、と呟く。
「出来なくはない。しかしまさか、本気かね?」
「ええ。ぼくは人形遣い協団(パペッターギルド)の除籍に伴い、この決闘を――」
「トキヒト! 私はこの決闘を降りる気などありません!」
ぼくの唯一彼女の度肝を抜くはずだった選択肢は、当の本人――糸蓮の初めて聞いた鋭い声によって遮られた。
「ふんっ。だ、そうよ?」
ぼくはなおも得意げな顔をする彼女に苦い顔をする。
それよりも、糸蓮の方が気になる。勝手に決闘を受けた時点であった違和感。何が糸蓮をそんなにさせるのか。
「なんで? だってきみはもう、そんなにもボロボロなんだ。ぼくはきみを守る義務がある。きみを傷つける決闘を辞退できるならそれに越したことはないじゃないか」
これがぼくの本音。
ぼくは糸蓮の持ち主として糸蓮を守る義務があるのだ。
別にぼくはギルドに入りたくて入った訳ではないし、師匠になら事情を説明して納得して貰えば良い。師匠は怒るだろうけれど、きっと許してくれるから。怪我なんかしないで帰っても良いじゃないか。
「それなら、私は服従人形(オーベイドール)として、貴方を守る義務があります。けれど、それを決めるのはトキヒトではありません。決闘を引き受けたのも私です。ならば、辞退するかを決めるのもきっと私です。私が戦うのに、トキヒトが諦めた顔で俯かないでください。どうか……信じてください」
先ほど裏切られたことをよっぽど根に持っているのか、それとも彼女を動かす何かがあるのか。
鈴の音のように、凛と、糸蓮は立った。
「負けても除籍、辞退しても除籍となれば、最後だけでも私を信じて待っていてはくれませんか。最後まで、トキヒト、……マスターのために戦わせてください」
そう、お手本のように綺麗に頭を下げた糸蓮にぼくは戸惑った。ぼくに、糸蓮を止める術は持たないこと。“決めるのはぼくでない”。はっきりと言われてしまえば、もうどうしようもなかった。――きっと絆されてしまったのだろう。
負けた時の師匠の言い訳も、精一杯戦ったのだと言えば怒られないから。糸蓮が我儘を言うから。そう勝手に言い訳も並べて、ぼくが糸蓮の主人(マスター)として立っても良いための免罪符を無理やり持ってきた。
「――わかった。とりあえず、今だけは糸蓮を信じるよ。最後まで戦って、どうせなら勝っておいで! どのみち逝く先は同じだ!」
「承知いたしました!」
気合を入れるために大きな声で自らを鼓舞する。パァン、と頬を叩き、目の前の決闘相手である彼女を見つめる。もう逃げないから、という意思を告げるために、力強く。
「……へえ、思ったより良い目をするじゃない。百パーセントという言葉は撤回してあげるわ。私もヘルムも待ちくたびれたもの。精々私たちを楽しませてよね、『元神童』人形遣い(パペッター)さん?」
「!? きみ、それどこで――」
――ドッガアアァァアンン!!!!!
「な、何だ!?」
再戦の合図が鳴ろうとした時。
恐らくギルドの入り口であろう場所から轟音と共に黒煙が上がった。
それを見た桜庭さんの顔色が険しくなり、怒号を上げる。
「二人とも、決闘は一時中断! 念の為そのまま戦闘態勢に入って!」
「はいッ!」
「えっ、ちょっと待っ――!?」
観衆は桜庭さんの的確な指示に応じて散り散りになっていく中、いまいち状況が掴めていないぼくがしどろもどろになっていた。
「しょうがないわね、また今度相手してあげるわ」
「ええ、緊急時です。再戦は後ほど」
「ほらポンコツ! 行くわよ」
黒煙に向かって彼女が走り出す。
それを合図に、ヘルムもまた小さくなって彼女の腕に着地した。
……多分ポンコツはぼくのことなんだろうな。
そう思いながら、ぼくは大人しく付いていくことにした。