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 どさり、とそれを告げる重々しい音がしてぼくは漸く深い息を吐き出す。

 しかし少し気を抜いた途端グォン、と何とも言えない鈍い音がして、音の方角へ振り向くと思わずぼくの喉から、ひぃ、とか細い絞り出した声が出た。

 

 ――糸蓮が止めとばかりにその鳩尾に蹴りを入れるという、見ているぼくが引いてしまうほどの鬼の所業が目の前で行われていたからである。

 

 彼女の目は冷めていて、先程の表情とは打って変わって相変わらずの無表情である。

 思い出すのは朝の『糸蓮花瓶粉砕事件』。

 この力をぼくに振るわれていたかも知れないと思うと、いくら過ぎたこととはいえゾッとするものがある。

 

「し、糸蓮? もう止めよう? いくらテロリストとはいえ死んでしまうよ!?」

「彼は一般人では無いと判断しました。それに、人間はこの程度で死なないはずです。朝で学びました」

「朝も殺しかけたのにぃ!?」

 

 朝のあれで糸蓮は一体何を学べたというのだろうか。全く信用ならないにもほどがある。

 

「ああぁぁぁ!!? なに、何やってるの糸蓮!!?」

 

 倒れているテロリストの股間目掛けて足を振り上げようとしている糸蓮を慌てて止めた。

 舌の根も乾かぬうちにとんでもないことをやらかそうとしている糸蓮にゾッとする。

 とりあえず心臓に悪いから本当にやめてほしい。お前は人の心を持ってないのか。あ、そうだこの子人じゃないわ。

 

「いえ、ただ殺さないにしても男としての尊厳くらいは潰してもよろしいかと」

「よくない!! 全然これっぽっちもよくない!!」

「はあ」

 

 糸蓮はテロリスト(の股間)に向けて上げていた足を渋々と下ろした。しかも全く納得していない様子である。鬼かこの子。

 

「……て」

「――え?」

 

 微かな、微かな。

 しかし身の毛のよだつような嫌な感情の矛先が、ぼくに向けられたのが分かった。

 

「随分と、好き勝手してくれたなァ!?」

 

 テロリストの咆哮。

 鬼のような形相は相当な怒りを表している。

 しまった、と思うも、ぼくも糸蓮も動くのが今一歩遅かった。

 

「全てを――破壊しろッ!!!」

やめろおぉぉッ!!」

 

 停止していた人形が、動き出してしまった。

 

 ☆

 

「どういう、ことよッ!」

 

 ピッピッピッ、と不穏な、耳障りな機械音を体内から鳴らす背反人形たちに、サラ・アイズリーが苛立ちげに叫んだ。

 時仁を元凶の元に向かわせて一時間が経ち、つい先ほど全ての背反人形が機能停止したのはずである。

 

「あのポンコツに何かあったっていうの!?」

 

 一度停止した。

 その事実は変わりはない。

 つまりは時仁が元凶を潰したことは確かだろう。

 ――けれど、だとしたら今起こっているこの不可思議な現象は何だ、とサラは焦らずにはいられない。

 

 ピッピッピッ、となり続ける背反人形は先ほどと違い破壊行為をしているわけではないのだ。ただただ音が鳴るだけである。――サラによって破壊されなかった全ての背反人形から、というのは随分と恐ろしい話ではないか。

 それはあまりにも優秀なサラの経験からくる勘を刺激するには余りある理由だった。

 

「こんな、おぞましいほどの嫌な予感なんて初めてだわ……!」

「サラくん、他の人たちは全員逃した!君も逃げなさい!」

「いえ、」

 

 ギルドマスターである桜庭は職員や契約している人形遣いたちを避難させることに専念していた。

 けれどタイミングが良いのか悪いのか、彼はこの場所に戻ってきてしまったらしい。

 責任感ある行動にサラはいつも好感を持っていたが、こんなところで仇となるとは思わなかった。

 しかし今、桜庭に言われた通り逃げるかと問われたら、サラはそんな素直な性格をしていない。

 サラは相変わらず鳴り続ける背反人形を睨んで、冷や汗を流しながら大胆不敵に、にやりと笑う。

 

「――もう、遅いでしょうね」

「サラく、ん?」

「いいわ。覚悟は決めてたのよ。あのポンコツに任せておくには最初から不安しかなかったのよね。妥当だわ。――そう、妥当よ」

「サラくん!?」

「何でしょう、協団長(ギルドマスター)?」

 

 サラが桜庭を一瞥する。その鋭い眼光に怖じけつつも、協団長としての威厳を守る為にただ目の前の天才に一言、今の現状を聞く。

 

「何が、何が起こるっていうんだい……?」

「――半壊よ」

「え?」

 

 サラは胸を張って、自信満々に答えた。

 まるで何でもないような世間話みたいな爽やかな解答だ。怖い。

 

「ギルド半壊が妥当でしょうね。――協団長、政府から復興資金として根こそぎ金を奪い取るチャンスじゃないですか」

「えっ!?」

 

 ピッピッピッ。

 相変わらず鳴り続ける背反人形を蹴り、頭を踏み潰しながらサラは、はあああ、と仙人のように深く長い長い溜息を吐き出した後、勢い良く顔を上げる。

 

「死なば諸共、でしょう?」

 

 覚悟を決めたような据わった目をしたサラに巻き込まれて、桜庭は自身の協団の半壊を共にしなければいけなくなってしまった。

 

「ヘルム! 壊せなくたっていいわ」

 

 サラの大声に巨大なドラゴンが反応する。

 ピッピッピッ。ピッピッピッ。

 段々と早くなっていく音にその時が来るのだと察するには十分過ぎた。

 

「どうせ半壊は決定事項よ。周りの欠陥品全部、根こそぎ薙ぎ払いなさいッ!!」

 

 命令と共に彼の巨大な尾が半円を描いて今だ音の鳴る背反人形を巻き込んで、柱にぶつかる寸でのところで止まった。

 その勢いに乗せられながら、背反人形は遠くの壁へと吹っ飛んでいく。

 

 ピッピッピッ、ピ。

 

 ――そしてついに決定的瞬間が、来た。

 

「アイズリーさん!! 桜庭さん!! 無事だったんぶべらッ」

「来るのがおっせーのよ、このポンコツッ!!!!」

 

 糸蓮にお姫様抱っこされたまま情けなく戻って来た時仁の顔面にサラの拳が入ったそのとき、

 

ドッガアアアァン!!!!!

 

 ――背反人形が、一斉に爆発した。

 

 

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