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Ⅴ話 爆―パスト―
 

 ――それは約十年前の話。
 ぼくが物心ついた頃には、隣に常に微笑んでいる心優しい一体の人形がいた。
 にこにこと笑みを絶やさない、忙しかったらしいかつての家族の代わりにぼくの身の回りの世話をしてくれていた小さな人形を、ぼくは生涯忘れることはない。

 当時の人形の性能は今より大分未熟で、人の数歩先の才能を持つ師匠の作るような精巧な技術がまだまだ世間に浸透しなかった時代。
 ぼくの隣に居た使用人(ハウスメイド)型の人形は当時最先端のものであった。
 西洋から入ってきたそれは、使用人(ハウスメイド)として家事をするだけではなく、ぼくの身を守ってくれる機能も微弱ながら備わっており、当時から健在だったぼくの不運からよく守ってくれていた。
 可愛らしく意思さえも窺えるキラキラした瞳、そして未熟な人形の象徴である不恰好な四肢、完全なる機械音でさえ温かみを感じ、どうにもそれがぼくに親近感を与え子供ながらに大切にしていた覚えがある。

 子供時代の記憶にあるのは、兄と、そして何をするにもいつも一緒で手を取り合っていた可愛らしい人形の姿だ。
 ぼくの憧れの兄と、ぼくを守ってくれる人形、嫌いになるなんてことは万が一にもあるはずがない。

 その当時の情景は非常に鮮明で、絶対に忘れることのないもの。

『御主人、』

『ちゃんと、ちゃんと生きてくださいね』

 両親を狙い、兄を狙い、そしてぼくを狙っていたテロリストの一人を貫きながら、自らの身体をボロボロにして極上の笑みを浮かべるかつての使用人(ハウスメイド)は、そのとき人形とは思えないほど心があった。
 身体の中心を貫かれ息絶えたテロリストはゴロリと音を立て、人形はぼくに背を向けて好戦的に佇む。
 歯車が飛び、スプリングが散る戦闘人形ではない人形の身体は、もう、動かないはずなのに――

『わたくしが、お守りするのですもの』

 ――そこからの記憶は、ない。

 ☆

 あの日から、あの人形がいなくなったときから何もかもが変わってしまった。
 両親が殺され、兄は生きているか死んでいるかも分からない。
 ただ、後から師匠に聞いた話しでは両親の死体と形も残さない無残な人形の残骸だけが現場に残されていた、らしい。
 その場に兄の死体はなかったから、生きているかもな、と励ましてくれた師匠の言葉を信じて今日まで必死に這いずって生きてきた。
 あの子の『ちゃんと生きてくださいね』という言葉がなければぼくはきっとここまで来れてはいない。言い方を変えれば『囚われていた』とも言えるだろう。

「何で知っているだって? 知らない訳がないだろう! ここまでたかが人形に囚われている哀れな人間を俺は見たことがない!」

 高らかに叫ぶテロリストは心底楽しそうだ。
 対してぼくはその場から一歩も動けず自分の顔から、さあ、と血の気が引くのが分かる。
 そりゃあそうだろう、と頭の隅で冷静に分析する自分もいて、ぼくの頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。
 ようやく魘されることもなくなった悪夢を突然引き出されたこの現実は、ぼくが一生懸命見なかったことにした過去の反動か。
 まるで自業自得だな、ともう一人のぼくが耳元で呆れたように囁いた。

「まるで玩具を与えられた子供のようですね」

 糸蓮がぼくを庇うように前へ出た。
 テロリストを例えた言葉は言い当て妙で、確かに的を得ている。
 冷静な糸蓮の判断はこんなときにでも的確だ。声のトーンや表情は一切変わらない。ただそこに凛と立っている存在。
 本当ならば主人であるぼくがどうにかしないといけない場面でも、糸蓮はその優秀さから一人で ちゃんと決断できる賢い人形だから。
 だからこそ、ぼくの不出来が顕著になる。それがさらにぼくを惨めにさせる。

「――ねえ、糸蓮。聞きたいことが、あるんだ」
「はい」
「君が、あいつに勝てる勝率はどのくらい?」
「はい、九十八・八七パーセントになります」

「じゃあ、――あいつを殺さずに、では?」

 糸蓮は一瞬、しかし不自然に会話の途中に間を置いた。
 それが答えであり、今の糸蓮の実力だとぼくは改めて知る。
 花瓶を割った自らの力が分からない、加減のできない幼子のようだと思った朝の出来事と寸分違うことなく、ぼくは糸蓮の印象が一切変わらない。
 彼女は、力加減のできない、常識の分からない、純粋無垢な幼子のままだ。

 糸蓮の地力は底なしの伸び代があるけれど、それの使い手がぼくでは糸蓮は一か百かの極端な力しか奮えないはず。
 だからこそ、糸蓮があのテロリストを“生かして”捕らえるのはとても難しいと、ぼくは思う。
 背反人形(リベリオン)相手なら別に構わないが、それでも今回は駄目だ。相手は人形遣い協団を狙ったテロリストとはいえ人間。殺すわけにはいかないし、何よりぼく個人が絶対にあのテロリストから聞かねばならないことができた。

「糸蓮、もう一度言うよ」

 ――ぼくが君を信じて戦うのだとしたら、あいつを殺さずに勝てる勝率は、どのくらい?

 糸蓮はその伏し目を大きく見開いて、その次に今の状況で全く相応しくないほど、馬鹿みたいに美しい聖母のような笑みを浮かべた。
 ぼくの足はまだ恐怖と未知の存在にガクガクと震えるままだ。
 けれど胸の内から這い上がってくるテロリストに対する怒りと、ぼくが長年探ってきた手掛りが今まさに目の前にあるかも知れないという、否定しようもない“希望”がそこにあったのだ。
 逃す手はないし、逃す気もない。――そして何より今のぼくには強力な味方がいる!

「『勝てない』などという戯言が、有り得るはずがないでしょう!」

 彼女の雪のような白い髪が、椿のような瞳が、誰にも負けず輝いている。
 誇らしげに勝利を宣言する糸蓮はきっと、負ける未来など一欠片も想像していないのだろう。
 何よりも自信ありげに力を振るおうとする様は、ぼくが躊躇していたときとは違い本来の人形の在り方そのもの。
 ぼくたちは理由は違えど、同時に目に闘志を宿らせてテロリストに向かって不敵に口角を上げて見せた。

 ――戦線布告を、こちらから叩きつけるために。

 膝の震えは治った。まだ握り締める手の震えは止まらない。心臓が煩いほど鳴いている。けれど先ほどと違うのはその震えの理由は恐怖からではなく、

「はっ! なぁにをゴチャゴチャ――」

「今だ、糸蓮! 人形(リベリオン)は後でいい! 元凶をまず潰せッ!」
「承知致しましたッ!」

 ――アドレナリンが大量に出ているからだ!

 もう何も怖くはないし、一周回って逆に頭が冴えて来ている。気分は最高に晴れやかだ。
 糸蓮が迷いなく真っ直ぐに向かうのは戦闘力の高い背反人形ではなくて、安全な場所に陣取っている腹の立つテロリスト。
 背反人形は確かに脅威ではあるけれど、それでも優先すべきは元凶のテロリストの捕獲だと判断した。

 勝手な判断だ。

 けれど糸蓮は迷いなく行動してくれている。それはきっと間違っていない。
 ぼくが咄嗟に思いついたある一つの仮定は、論も何もないぼくの勘だけれどあながち外れてはいないだろうと思う。
 命令がなければピクリとも動かない身体、命令がなければ、人間を目の前にしても破壊行為を行わない従来の背反人形とは違う、人間に従順な背反人形(リベリオン)。
 もし、もしも。ぼくの勘が正しいのなら。

「きっと! あいつを潰せば全てが終わる!」
「――ッ!! ッッせるかよォ!! おい、命令だガラクタ共ォ! こいつらを一人残らずころ――」

「――させませんよ」

 鈴の音がその場に響き渡った。
 まるで場面を切り取ったかのように、その音だけがスッと聞こえて来る。
 唾を吐き散らした怒号での『殺す』という命令の言葉を最後まで言わせず、テロリストの顔面に糸蓮の華麗な右ストレートが、可哀想なほど華麗に決まった。

「ぐぼぇぉッ」

 情けない潰れた音を上げて、テロリストの身体はまるでスロー再生を見ているようにゆっくりと地面に崩れ落ちた。
 それと同時にテロリストが侍らせていた背反人形たちの活動も停止したようだった。

 

 

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