「改めて、陸軍少尉、櫻坂康太郎。よろしくな!」
桜庭さんに促されぼくたちはソファに座ったまではいいのだが、ぼくの『友達だったの!?』発言のせいで緊張感は霧散するわ、変な空気が漂うわで大変なことになった。誰も彼も口を開こうとしない微妙な空気間を察したのか、コウくんが何とか流れを変えようと自己紹介を始めてくれたのは、さすが食堂の人気者だと思う。
「最近の悩みは弟が風呂でありったけの乾燥わかめをふやかしたせいで現在処理に困っていることだな! あっはっはっは」
「笑い事じゃあないね!?」
「よろしければ効率のいいわかめの調理方法をお教えできますよ」
「本当か人形のお嬢さん! それは弟たちも喜ぶぜ! ここ一週間ずっとわかめばっかだったんだ」
さっきもお弁当を空けたんだけど、やっぱりわかめでさすがに気持ち悪くなってたところなんだ。なんておおらかに話してるけどそれは笑い事じゃない。一週間わかめ漬けなんてなんて拷問だ。ていうか一週間経ってなくならない乾燥わかめってどれだけふやかしたらそうなるのだうか。怖っ、ぼくも気をつけよう……。
「先ほども申しましたが、もう一度。サラ・アイズリーです。お好きに呼んでくださいな」
「そっか、サラ、よろしくな!」
「サっ――、……え、ええ、よろしくお願いします」
アイズリーの彼女もコウくんのいきなりのため口に慄いているようだった。そうだろうな、分厚い猫を被っているときは普通の? いや、かなり見た目のいいお嬢さんにしか見えない。まあ、ぼくは出会って序盤の方から猫ぶん投げて接されてたし、あまり彼女の猫は慣れてないんだよなあ。ポンコツ呼びがいいって訳ではないんだけれど。
コウくんは人の懐に入るのが上手いからなあ。彼女のにゃんこもいつまで持つか。さっきも突っ込んでたしそう遠い未来のことではないような気がする。つまり嫌な予感だ。
「じゃあぼくも。ええと……人形遣い(パペッター)新人の、鎮目時仁です」
「存じ上げています」
「存じ上げているわ」
「知ってる。あー、それよりとっきーって人形遣い(パペッター)だったのか?」
知ってる、とは。それより、とは。なんだこのぼくだけ適当感。
ああ、そういえばコウくんと出会った当初はまだ人形遣い(パペッター)じゃなかったんだ。初めて会ったときは食堂の酒の雰囲気にお互いに酔っていたし、二人で結構身の上話を話していたけれど、彼が人形遣い(パペッター)になったことを知らないのは当然だった。
「うん。コウくんと会ってから一週間くらい後にね。ちょっと……あー、師匠に無理矢理? みたいな」
「……そうか! あ、じゃあ人形のお嬢さんはもしかして?」
「うん、そういうことかな」
「初めまして、トキヒトの服従人形(オーベイドール)、糸蓮と申します」
――んん? ちょっと今、コウくんにしては歯切れが悪かった気がする。
「よろしくな!」
「はい」
でも今そんな違和感はないし、ぼくの勘違いだろう。
首を傾げて先ほどコウくんに感じた違和感に頭を悩ませていると、桜庭さんに肩を優しくたたかれた。少し疲れたような虚ろな目をしていたから、おそらく早くこの場を収め本題に入りたいという暗示だろう。あっはいすみません、と言い、改めて混沌と化している自己紹介をなんとか収めた。
「では、本題に入ろうか。人形遣い協団(パペッターギルド)と、そして技師である葉守華子直々の指令だ。心して聞いてくれ」
桜庭さんが飲んでいた湯呑を机の上に置いた瞬間、アイズリーの彼女も、コウくんもプロの顔になった。さっきまで緩み切っていた空気が、たった一言で引き締まる。そうなると桜庭さんも東京にある人形遣い協団(パペッターギルド)の協団長(ギルドマスター)なのだな、と遠い世界を見ているような心地になった。渦中から外れたような、疎外感。ぼくだけがここにいるのがおかしいのだ。ああ、そうだ。分かっていた。分かっていたつもりで、今、実感した。
――正しく、ぼくがいることがおかしいのだ。ぼくがここにいるべきではなくて、いるべきなのは糸蓮なのだ。ぼくは付属品でしかないのである。うう、くそ。自分で言ってて悲しくなる。実に気付きたくない事実だ。
「時仁くん、サラくん、糸蓮くん、先日通達があったように今回の件で君たちに危険が及ぶかもしれないと判断の上、君たちを一時期間潜伏してもらうことになっているのは知っているね?」
「――はい」
答えたのは、アイズリーの彼女だった。ぼくはただ口を噤んで彼らの話を聞いてるしかできなかった。吞まれているのだ、彼らに。ずぶの素人がいていい場所ではないのである。
桜庭さんの口調は任務を告げる時でさえ尚、優しい。しかしその年相応に皺の入った目の奥にはらしからぬ剣呑な光が宿っている。
怖いなあ、と単純に思った。化け物のような何かを心の内にとどめていると、確信を持ったぼくの直感が言っている。何を経て、どういう年月を重ねて、そんな幾千の戦を超えてきたようなそんな目ができるのだろう。それをいうならきっと、師匠も、アイズリーの彼女も、――コウくんも、そうだ。
「そして、陸軍から派遣された櫻坂康太郎くん。君は彼らの護衛を任せる。期間は未定。少なくとも目下の危険が去るまでだ。君の認識と合っているかい?」
「――はい」
答えたのは、コウくん。
しっかりした声色で、普段の彼の笑顔とは想像つかないほど軍人の顔をしていた。
「そして、時仁くん、糸蓮くん」
「――ぇ?」
突然呼ばれて驚いた。ぼくに話が振られるとは思わなかった。
それが伝わったのか桜庭さんは「あはは」と大きく笑う。アイズリーの彼女はコウくんに見つからない角度で、何してんのよこいつ、と目線で感情を送ってくるのがいたたまれない。はい……その通りです……。
「これが一番大切な任務だよ。よぉく聞きなさい」
「はい、それがトキヒトのためになるのだとしたら、私は、なんでも」
「うん。いい返事だ。――その手を離してはだめだよ」
桜庭さんはそれだけ言ってまたぼくに向き直る。
「君もだ」
「え、あ。はい」
そしてつかの間の静寂。桜庭さんはそのあとに言葉を続けようとはせずに、湯呑に残った冷めたお茶を呑気にすすった。これにはアイズリーの彼女もコウくんも驚いたように目を丸くさせていて、多分その心はぼくと同じだろう。
「え、えっえっえっ。それだけですかっ?」
「うん、それだけだよ」
まじでそれだけかよ。なんて脱力感に項垂れると「さて」とぼくを放って本題に戻ろうとしている桜庭さんがいて、はああ、とわざとらしい溜息を吐くと桜庭さんは何故か吹っ切れたように笑った。
――あれ? と思う。
その笑顔に、ぼくの直感が告げていた恐怖や疑惑は、なかった。
「――さて、本題の本題だ。これは機密で、私と、葉守華子しか知らない」
桜庭さんは、告げる。
「君たちの潜伏先は、――京都だ」
☆
――以上、ぼくの回想終わり。
「だから言ったでしょう! ここのお茶屋さんは最高なのよ!」
「確かにここは有名だけどこーゆー場所には穴場ってもんがあるんだって! だめだなサラは、だめだな」
「だめって二回も言わなくていーのよ! 朴念仁!」
現在、アイズリーの彼女に引きずられたままやって来たお茶屋さんで、未だ言い合っている二人を遠い眼で眺める。正直、潜伏しているとは思えない目立ちっぷりだ。
「ねえ、糸蓮」
「はい、どうしましたかトキヒト」
「……少し、風に当たりに行こうか」
糸蓮は機械に埋もれた思考を一巡させて、ゆっくりと心配そうに問いかける。
「……いいのですか」
それは自分たちが勝手に行動していいかの問いだ。
きっと、本当ならやってはいけない軽率な行動だ。でもここにいても、この京都に来てから胸を締め付けるような不安が解放されるとは思えなかった。
「行こうよ」
「――はい、トキヒト。仰せの、ままに」