top of page

 ――あっという間に三日が過ぎた。
 二日目の夜、ぼくは遠足の前日は眠れなくなる人間なので手間取るかと思いきや全然そんなことはなく、むしろ自分が驚くほどぐっすり眠れた。熟睡である。
 そしてがっつり胃袋を掴まれた糸蓮の朝ご飯を食べて、待ち合わせまでゆとりある時間を使ってゆっくりと支度する。この先の非日常を除けばとても穏やかな朝だ。普段でもこんな穏やかな朝は中々ないのに。なんだ、嵐の前の静けさか。怖っ。
 いつも通りの服にいつもとは違う、やっと支給された真新しい人形遣い(パペッター)のコートを羽織る。三枚の桜の花弁がそれを表していた。
 よし、身支度は整ったし、忘れ物はない。少し早いけど、早いに越したことはないし、そろそろ行くか。

「覚悟はいい? 糸蓮」
「もちろん。どこまでもトキヒトと共に」

 勢いよく扉を開けて、いざ出発だ! となったとき、ぼくのアパートの壁に凭れ掛かるあまりに不釣り合いな彼女と目が合った。
 不遜な態度で、不機嫌にぼくを睨みつける彼女は、淑女にあるまじき大股でぼくへと向かって来る。その迫力に思わず目をそらすと、彼女の肩に乗っている人形と目が合ったので挨拶の意を込めて手を振ってみる。――殴られた。

「な、なにするんだよ!? いってぇ!」
「普通主人差し置いて人形の方に挨拶するかしら。もちろん海のように心の広い私と、その崇高なるパートナーだから許すけれど、そうだというのならこの国のマナーは面白いマナーね。笑えるわ。――あ、糸蓮さん、おはよう。いい天気ね」
「おはようございます、あいずりー様。今日は洗濯日和ですね」
「ええ。今日のようないい日には布団を干したいのだけれど、残念だわ」
「アイズリーさんもぼくに挨拶してないからね!?」

 ぼくの意見は無視された。
 ええ……。こんな華麗に無視されることってあるの……? と怒りよりも先に戦慄していると、さて、とアイズリーの彼女から先に要件を切り出してきた。

「この任務、私も担当することになりました。私の場合、グレゴリオシリーズ拾弐番機・糸蓮の守護と共に貴方のサポート。ですからこの度の長期任務、私も同行します」

 桜四枚半としての事務的な口調の割に、彼女の表情はまざまざと上から目線で「精々私の足手まといにはなるんじゃねーぞポンコツ」と伝えてくる。
 僕自身の至らない実力は自分で十分に把握してるので何も言えない。
 糸蓮はその表情の真意に気づかず「よろしくお願いします」と素直に頭を下げてるからなおさらだ。
 それでも彼女の存在はすごく心強いので取り敢えずぼくも頭を下げておく。
 頼もしいのに……! 頼もしいのに、何でこんなに不安なんだ……!?

「あ、もしかして君が先生の言っていた助っ人なの?」

 単純に思いついたことを聞いてみた。三日前、師匠は助っ人を頼んだ、と言っていたけれどその場に彼女は居たし、彼女だったとしたらその場で言うだろうから別の人だと思っていたのだが。
 だから一応聞いてみたのだが案の定な返事が返ってきた。

「いいえ。私もその件については聞かされていないわ。人形遣い協団(パペッターギルド)の方で合流の予定らしい、と」
「あいずりー様もご存じないんですか?」
「ええ。腕は立つと先生はおっしゃっていたから、足を引っ張るとは思えないけれど」

 どうして足を引っ張るでこっちを見たんですかねえ……。いや、理由は分かるけどさ……。
 そうか、助っ人は別にいるということは基本四人で行動することになるのか。この濃いメンバーと上手く付き合っていければバランスのいい編成だと思う。……ただなあ。

「とりあえず人形遣い協団(パペッターギルド)に行こうか。この時間の東京駅はきっと混むから早めに行こう」
「そうですね、行きましょう」
「ちょっと、あんたが仕切らないでくれる!?」

 この任務本当に大丈夫だろうか。

 ☆

 なんとか無事に人形遣い協団(パペッターギルド)には着いた。
 途中ぼくが人ごみに流されたり絡まれたり転んだり流されたりしたけど、一応待ち合わせ時間にはギリギリ間に合ったのでセーフだろう。
 以前と比べるとやはりボロボロの人形遣い協団(パペッターギルド)だが、政府から復興金と人手を借りてるらしく、まだ半壊して三日目ながらほんの少しだけ元の形が見え始めている。
 ぼくの責任では決してないけれど、関わった問題が解決しかけているのは単純に安心した。
 あの大事件で負傷者は多数あれど重傷者はなし、死傷者もいないのだから、建物の半壊一つの犠牲だけで済んで今思うとよかったのかもしれない。
 それに既に人形遣い協団(パペッターギルド)としての機能は最低限復帰していて、人形遣い(パペッター)たちの仕事には影響が出ていないのだという。それは偏に桜庭さんの協団長(ギルドマスター)としての技量だろう。
 あの悲劇を三日と立たず復興してみせるのは並大抵の能力じゃあ無理だ。
 あの柔らかい雰囲気で流されがちになってしまうが、あの人もあの人で食えない何かを腹に飼っている。
 先日の軟禁の件で嫌なほど実感した。――あの人は信頼できる人だけれど、信用すべき人ではない。
 でもきっと、そう思っているのはぼくだけだということも、分かっているつもりだ。

「いらっしゃい、サラ君、時仁君。華子君から任務の内容は聞いているよ。さあ、こちらへ。君たちの助っ人はもう到着しているから、案内するよ」

 ギリギリ被害を免れた立て付けのおかしいあの扉を押すと、中からぼくたちに気づいた桜庭さんが何も言わずとも目的の元へ促してくれた。
 まるでぼくたちを軟禁したとは思えないほど“異常に”普通に接してくる彼に、勝手に身構えてしまう身体を気づかれないように必死に隠した。糸蓮にはばれているかもしれないけれど。
 協団(ギルド)の中は襲撃事件の名残で酷いことになっていて、よくもまあこれで死傷者がでなかったな、と事件の幸運さに感嘆する。
 爆発でいやにだだっ広くなってしまった廊下を歩いていくと、しばらくして協団長(ギルドマスター)の部屋らしき所に辿り着いた。

「ここだよ」

 開かれた扉の奥にいるぼくたちの目当ての人物を探そうと目線を動かすと、糸蓮が端にある一人掛けのソファーを示した。

「助っ人、とはあなたのこと?」

 彼女のころころした鈴のような声。
 でもぼくからすると猫を被っているのだといるのだと分かる声。多分、今のぼくは相当おかしな顔をしているのではないだろうか。
 助っ人、と呼ばれた、――十代後半の青年、だろうか。少なくともぼくたちよりは年上だろう青年が振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 その時漸く把握できた青年の容姿に、ぼくは愕然とした。
 大雑把に切り揃えられた艶々しい黒髪、深海のような蒼い瞳。その眼に映る、一度見たら忘れることのできない強い強い光。春夏秋冬問わず身につけられる、動く度靡く紺青のマフラーが彼の象徴として強く記憶に刻まれている。その驚くほどの美丈夫を、ぼくは知っていた。
 ぼくとは違う理由で固まっている彼女を差し置いて、ぼくは思い切り叫んだ。


「――コウくん!?」

「あれっ!? とっきーじゃん!!?」



「「なんでここにいんの!?」」

 はもった。

 

 

前へ  戻る

bottom of page